2020年3月19日、NPO法人ロクマルが取材・執筆した「60超えだからこその働き方を切り開く 全世代の女性に希望をつなげるロクマルたち」が、yahooニュースで配信されました。

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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200319-00010001-yjnewsv-l14


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60超えだからこその働き方を切り開く  全世代の女性に希望をつなげるロクマルたち

「年金額の少なさにびっくり」「退職勧告にがっくり」。そんな逆境を乗り越えて、60代からの「希望につながる」働き方を切り開いている人たちを紹介します。 取材は横浜市で60歳からの仕事探しをサポートしているNPO法人「ロクマル」。高齢者でもシニアでもない60歳超え世代を「ロクマル」と呼んでいます。

年金で足りない分を稼ぐ作戦

年金額にガックリ

横浜市戸塚区の島津直子さん(68)はシングルマザーで一人息子を育てあげた。図書館司書、貿易会社事務、英語学校総務。グループホーム事務、飛行機部品メーカー資材部……。子どもの成長に合わせ、働きやすい職場を探した結果だ。いずれも正社員で、65歳定年を迎えるまで働き続けた。

 「これからゆっくりできるかな」と、定年直前に地元の年金相談センターで年金を算出してもらった。介護保険や国民健康保険料を差し引いた額は、ひと月10万4755円。愕然とした。「これではやっていけない」

 島津さんの生活費、税金や保険料、人間ドックの費用……。月々必要なお金は約15万円。趣味の旅や映画、美術館入場料を加えると、まったく足りない。

失敗の連続 そして笑顔と声かけに絶賛の職場と出会う

 まず、求人情報のチラシで見つけた地元の旅館で室内清掃の仕事に就いた。チェックインまでに清掃を終わらせることができず怒られてばかり、すぐに辞めた。次に大学にある海外研究者用のゲストハウスで受付の仕事を始めた。英語は使えるものの、仕事の引継ぎが不十分で混乱、数か月で退職。

通信会社で働く息子(38)に「慌てて安易に仕事を選ぶんじゃなく、自分に合った仕事をしっかり探すべきだよ」と諭された。

 落ち着いて考えてみれば、そうか、あと5万円稼ぐには、週5日フルタイムで働かなくてもいいんだ。新聞の求人チラシと、戸塚区で開催していた「60歳からの仕事探し~ロクマル求人フェア」で、二つの仕事を見つけた。自宅から徒歩5分、戸塚駅前のホテルで週3回、朝食のフロア担当(パート)。そしてもう一つ。清掃が主な業務のマンション管理代行(派遣)を掛け持ちすることにした。マンション管理の仕事は、派遣先が毎回変わる。自分の都合に合わせて1日3時間、最多で月6日働く。

 この二つの仕事の掛け持ちなら、以前からやっていた外国人観光客をシャトルバスに案内するボランティアを続けられる。目指す通訳案内士の勉強もできる。ダブルワークで、月9万円、年金11万と合わせて手取り20万円。わずかだが貯蓄にまわすゆとりも生まれた。

 ホテルでは「パンとサラダの補充を!」と、言われたことは理解できても体がついてこない。ご飯の補充量を見極められずお客さんに平謝りしたこともあった。そんな失敗の連続だったが、副支配人は島津さんを絶賛する。23歳の男性の朝食アンケートには「試験で緊張していましたが、島津さんの笑顔と優しい声掛けで緊張がほぐれました」

ダブルワークでゆとり ボランティアも勉強も

 横浜で60歳超えの就労をサポートするNPO法人「ロクマル」のクイーン2018に島津さんは選ばれた。島津さんは「年金額の少なさに『とにかく働かなくちゃ』と、テンパってしまった。定年後、やりがいのある仕事を続けられることで、国内外への旅にも出られるし、貯蓄もできそうです」と、ますます元気だ。

ピンチこそ最大のチャンス ~居場所づくり実現まで

このわたしに退職勧告ですって

 高橋裕子さん(63)は、横浜市泉区中田の自宅近くのクリニックで医療事務の仕事を30年以上続けてきた。診療報酬計算を任されるなどして職場の10数人を束ねていた。子育て中も夢中で働き続けた。60歳で定年だとわかっていたが、自分がいなければこの職場は困るとたかをくくっていた。あっさり「世代交代ですから」の一言で、はい、さようなら。2016年10月職場を去った。

 「自分はもう世の中から必要とされていない」とさえ思え、犬と散歩する振りをして、あてもなく歩き回る日々。うつうつとした中、県の広報に載っていた講座「回想法と市民活動」に目が留まった。市民活動にはまったく興味はないが「暇だし」。参加してみた。退職から3か月ほど経った、17年1月のことだ。

地域の居場所づくりへ、思い通じた

 講座の一環で、世代を超えた交流やつながりをつくる地域住民の居場所がコミュニティカフェと呼ばれていることを知った。

 たまたま前を通りかかったコミュニティカフェに「本日開店」とあった。店主に、定年からここまでの思いのたけを語った。地域密着型の介護サービスを提供する小規模多機能事業所「だんだん」が運営するカフェ。「ここで、あなたの思うようにやってみて」と引っ張り込まれた。もともと料理好き。季節の野菜を使ったランチを提案し採用された。調理と企画のボランティアを2年間続けた。

 地域住民の居場所づくりを追求することは忘れていない。泉区役所高齢者支援課に相談してみた。担当は両手を広げて「あなたを待っていた、天使が舞い降りてきた。同じ思いを持っている人がいる」。

 地主で自治会役員の奥津さんは、公園に隣接する古家を建て替えるという。地域に開かれた場所にしたいが漠然としていた。運営は高橋さんに託された。

 奥津さんはカフェを建て、運営側は月々の家賃を払う。カフェの内装にかかる費用は、ヨコハマ市民まち普請事業で500万円の助成を、月々10万円の家賃は、横浜市介護予防補助事業の助成を17年春に申請した。
 18年1月、助成金の2次審査を通過した。一気に実現化へ。こうして地域の居場所~「宮の前テラス」が18年9月オープンした。施設を運営するのはNPO法人宮ノマエストロ、理事長に高橋さんが就いた。

まずボランティアの交通費、出せるように

 泉区中田地区には宅地開発で転入してきた子育て世代も多い。まずは子育て中の娘に相談する。すぐに子育て仲間がやってきて、親子リトミックやベビーマッサージなどのプログラムが生まれた。古くからの住民の高齢世代と新住民子育て世代の交流の場が生まれた。

 オープンから1年半。スタッフは高橋さん含め、全員ボランティア。30~80代までの27人が、ランチ調理補助、掃除、子ども食堂運営、学習支援、各講座講師等を務める。家賃は介護予防の補助金があり、なんとかやっていける。今の売り上げと言えば、飲食代を主に、講座参加費など〆て月 万円。継続させるには、これから収益も上げていかないと。まずはボランティアの交通費を出すことからだ。

 居場所づくりに奔走する中で、最後はみんな独り暮らしになることを思い知る。その時、近場にこういう場所があることで、ひと時でも心豊かに過ごせるのなら、這ってでも行けるようにしたい。

 高橋さんは「良き出会い」を手繰り寄せる名人だ。ロクマルで5月から始まる「学び直し塾3期」では居場所づくりの体験談をお願いする。

絵巻寿司は全世代の女性を救う

自信を持って仕事に 絵巻寿司検定協会を設立

 横浜市南区の中矢千賀子さん(67)は3年前、「ようこそ横浜へ!観光客向け絵巻き寿司教室」で横浜ビジネスグランプリ(横浜企業経営支援財団など共催)2016女性起業家賞を受賞した。絵巻寿司は、金太郎飴のようにどこを切っても同じ絵柄が出てくる。

 グランプリは2003年から開かれ、16年の応募総数は111件、最終審査には7人が進み、中矢さんは「昔ながらの巻き寿司とアートの連携で、横浜から世界へ」とプレゼンしだ。

 子どもが小さかったころ、家業の印刷会社で遅い時間まで働いていた。一方「働く母親として、子どもに寂しい想いをさせているのではないか。仕事と子育てを、なんとか折り合いをつけていくしかない」。自宅で絵巻寿司を作ってみた。子どもが笑顔でほうばった。

 家族の笑顔を増やしていきたい。09年に「巻きずし教室ぐるり」を始めた。《どんな図案か数種類挙げて》デザインした絵柄が絵巻寿司になる。会社でグラフィックの仕事を続けたおかげで、図面がおこせる。「これが私の道」と言える仕事になった。

検定協会設立、インストラクター40人に

 教室は家族の協力もあって何とか続けてこられた。「食卓で子どもの笑顔を」と始めた教室。「もっと難しい絵柄にも挑みたい」「上を目指したい」との受講生の要望もあり、16年に絵巻寿司検定協会を設立した。

 3級入門資格から2級、1級でインストラクター、さらに最上級絵巻寿司スペシャリストと認定する。インストラクターになれば自分の教室を開くことができる。

 2018年に開かれた「女性たち、50代・60代こそ働こう」(ロクマル主催)の起業体験談に中矢さんが招かれた。「自分が未熟であることを認め、周りの方から学び成長していきましょう」と、同世代の女性たちに語りかけた。中矢さんの思いは広がり、インストラクターは東北から九州まで40人余りになった。